究極にシンプルながら、かくも奥深き乗り物、自転車。楽しみ方から歴史、モノとしての魅力、そして個人的郷愁まで。自転車にまつわるすべてに造詣の深いブライアンが綴る「備忘録エッセイ」です。
ママチャリの定義が変わる その過渡期がまた来ている
前回はユーザーの抵抗感やアレルギーについて触れました。
自転車に限らず、消費者向け工業製品が進化するためには、これらとの戦いに勝たねばなりません。木目柄の箱型テレビが高級家具のように鎮座していた時代に液晶テレビをタイムスリップさせたとしても、珍しがられこそすれ、ありがたがられはしなかったでしょう。
さらに、周辺技術の革新も、進化に必要な大きな要素です。クルマがこれだけの主力産業になったのは、工業の基礎である金属加工に留まらず、ゴム、ガラス、樹脂など金属以外の加工生産技術、電気、電子関連、そしてデザインと、幅広く工業技術を進化させてきたことによります。
前編では、長い年月をかけ、実用車から今のママチャリが形づくられたことを述べました。
かつての日本は舗装率がとにかく低く、パンクへの危惧からB/Eタイヤが愛用された。鉄鋼の線材加工技術が確立されていなかったため、荷物を積むにはプレス製の荷台が使用された。フルにチェーンが覆われるチェーンケースが必要とされた。ブレーキワイヤーは、切れてしまうことも多くて嫌われた(下図参照)。
そして外装変速機。前回チェーン外れを増長してしまう懸念があると言いましたが、それ以前に外装変速を操作するには、ハンドルから手を放して、変速どころを手探りするという操作技術が要求されたことも抵抗感の理由になっていました。
これが今ではハンドルを握ったままで、ペダルに負荷をかけながらでも、手元レバーでクリック的に操作できます(しかし踏み込み変速は、チェーン外れよりももっと怖いチェーン切断にもつながってしまうのですけど。第4回で詳しく書きました)。
近い将来、クロスバイク的な、あるいはミニベロ的な自転車が、今のママチャリにとって代わっていくと思います。ちょうど1970年代に見られた、今のママチャリの源流である軽快車とミニサイクルの趨勢に重なって見えるようです。
スポーツバイクと電動アシストとの融合も考えられますが、これはメリットを見出すことがやや難しい。アシスト比率に速度規定があるため、乗用速度の高いロードバイクなどではその実力が十分に発揮できず、単なる重い自転車になり兼ねないからです。
しかし、これも先に述べた抵抗感からの脱出および周辺技術向上があれば克服できます。技術革新によれば大幅な軽量化の可能性も大。
大きなウェイトを占めるバッテリーも、EV(電気自動車)の進化と共に、リチウムイオンに代わる軽量な製品が絶対にできるはず。また今のバッテリーのままでは、レアな素材であるリチウムがEVに独占されて自転車には回ってこないかもしれません。
外装変速は抵抗感から放たれて、今では普通になりました。シンプルな外観の内装変速もその間に進化して、11段まで可能になりました。しかし、後ろに変速機がぶら下がっている方がそれっぽいという既視感も手伝って、内装変速はスポーツバイクでは分が悪いようです。これもまた「新たな抵抗感」ですね。
内装と外装は、クルマのオートマ(今ではわざわざ言いませんね)とマニュアルシフトの関係に似ているように見えます。かつてオートマは、運転が苦手な方のためのシステムとされた時代もありました。
確かに内装変速には、重量がある、クイックでホイールが脱着できないなどという物理的に不利な要素もあります。しかしこの点ももっと進化するでしょう。一部コンポで実用化された、電動自動変速の融合も考えられます。一般化したクロスバイクやミニベロは、電動アシストや内装変速の抵抗感を脱して、さらに形が変わっていくと思います。
え、ディスクブレーキ? あれもちょっと前までは意外と拒否反応が強かったのです。抵抗感が減少するの、早かったなあ。この例ひとつを見ても、動き始めれば、進化は予想以上に早いものなのでしょう。
いっときのママチャリは、1万円以下でセールの引きにも使われ、雑貨のような存在だったこともありました。今ではスポーツバイクが普遍化して、今後はもっと進化して——自転車は雑貨だった時代から、かつての実用車のように存在感と価値ある乗り物になるに違いありません。いやはや、夢を逐うことは楽しい。
Profile
『自転車日和』vol.48(2018年7月発売)より抜粋