ロードレースの元プロ選手として引退後も多方面で活躍する栗村修さんが、二十数年ぶりにトレーニングを再開。昨年日本縦断の女子ギネス新記録を達成し『ヒルクライムステップアップ』(日東書院本社)を刊行した篠さんとの対談をお届けします。
栗村修、トレーニング再開!
栗村修(以下栗村):篠さんのご著書(『ヒルクライムステップアップ』日東書院本社)を、かなり興味深く読みました。というのも、僕はちょうど20何年ぶりにトレーニングを再開したところで、まさにヒルクライムレースを目標にしているからです(笑)。
篠:ありがとうございます。栗村さんは、引退してからはあまり自転車には乗っていなかったんですか?
栗村:大っぴらには言いづらいんですが、そうです。選手って2パターンに分かれると思うんです。引退しても自転車には乗り続けるタイプと、スパッと乗らなくなってしまうタイプ。僕は明確に後者だったので、年に数回くらいイベントで乗るくらいで、あとはさっぱりでした。
篠:それがトレーニングを再開されたのはどうしてですか?
栗村:2年前くらいかな、自転車通勤をはじめて、今どきのディスクブレーキロードバイクの性能の良さにびっくりしたんですね。それで、去年Zwiftに手を出してみたらハマってしまって(笑)、秋にはついにヒルクライムレースに出てしまいました。
篠:そうなんですか! 結果はどうでした?
栗村:いや、実は内心では自信あったんですよ。50代になったとはいえ元プロだし、もともと上り系の脚質だったし、全体でTOP5くらいは狙えるかな……と。でも、いざ出てみたら惨敗で、それで火がついてしまいました(笑)。レース翌日には有料のフィッティングサービスに行ってポジションを一から見直して、機材も最新の動向をチェックしまくっています(笑)。だから、「今どき」のサイクリストである篠さんに伺いたいことが、実はたくさんあるんです。
機材もトレーニングも変化した
篠:栗村さんが引退されたのはかなり前ですよね。栗村さんから見て、今のロードバイクってどうですか?
栗村:もう、「浦島太郎」状態ですよね。僕が引退したのが2001年なんですが、それ以降も監督やレースオーガーナイザー、解説者としてレースの現場は見ていましたから、ロードバイクの変化はもちろん知っていました。でも、見るのと乗るのとでは大違いですね。
篠:今は何に乗っているんですか?
栗村:今は105のDi2で組んだディスクブレーキのロードバイクにチューブレスレディのカーボンディープリムホイールを履かせて、ブラケットも思いっきり内側に入れています。さらにクランクも短くして、もう、完全なる今風仕様です(笑)。クランクなんて、現役のころに比べて5mmも短くなっていますからね。(本を見ながら)篠さん、サドル高は650mmくらいですか?
篠:本のロケのころは660mmくらいだと思います。
栗村:僕と同じじゃないですか。身長は10cmも違うのに……。ちなみに、ピークのFTPは体重の何倍くらいですか?
篠:たしか、4.6倍でしたね。
栗村:すごい。今の僕が4.5倍だから、篠さんの方が上じゃないですか。
篠:でも、そのくらいになると、伸びが止まってきますよね。
栗村:本当に。だから僕は、自転車を軽量化したり、お金がかかる方向に行っています(笑)。しかし、今のホビーレーサーは本当に強いですよね。僕が現役だったころとは全然違う。それも、トレーニングに復帰してびっくりしたことのひとつです。トレーニング方法が進歩したからなんでしょうね。パワーメーターも普及して、高強度で効率的なトレーニングができるようになったのは大きいと思います。
パワーメーターの威力
篠:私も、2018年にパワーメーターを導入してから一気に伸びましたね。やっぱりパワーが数値で見られるのは面白いです。
栗村:僕、これまでに書いたトレーニング本だと、けっこう、パワーメーターに依存することに批判的だったんですよ。その考えは今も変わっていないんですが、いざ自分がパワーメーターを導入したら、もうハマっています(笑)。もともと数値が好きなんですよね。現役時代には当時最新ガジェットだった心拍計のデータを、紙と鉛筆でグラフ化していました。
篠:私、ちょっと「脳筋」なところがあって、「このパワーで踏もう」と決めたら意地でもそれを守るんですよ(笑)。それもパワーを上げる意味ではよかったのかもしれないです。
栗村:パワーメーターによってはペダリングの解析もできたりして、面白いですよね。僕、子どものころにサッカーをやっていた影響で、けっこう脚力に左右差があるんです。左脚が不器用で、強度が上がれば上がるほど、左脚が右脚に振り回される感じになっちゃう。だから今、それを是正するために筋トレやチューブトレーニングをガンガンにやっています。何なら、現役のころよりやってる(笑)。歯磨きも、利き手じゃない左手でやっているくらいです(笑)
篠:すごいですね(笑)。
栗村:僕が現役のころは、すべてが「感覚」で決まっていたんですね。でもパワーメーターを導入してみると、どういうポジションがパワーを出しやすいのかがはっきりわかってしまう。時代が、感覚から数値に移った感じはすごくします。
パワーは目的ではなく「結果」
篠:私、パワーメーターを使い始めてからしばらくは、「このパワーを維持できればいいタイムが出るだろう」というふうに、パワーを指標にしていたんですね。
栗村:はい、そういう人は多いですね。
篠:でも、なんと言うのかな、数値を基準にして「頑張って」走ったときよりも、自然と追い込んで力を出し切れた時の方がタイムがいいことに気づいたんです。つまり、考え方が逆転しちゃっていたんですね。本来は手段であるはずのパワーが目標になってしまっていたという……。
栗村:おお、それはまさに僕が以前から繰り返し言ってきた、パワーメーターの落とし穴じゃないですか。パワーを出すことが目的になってしまうと、速く走るためのペダリングじゃなく、パワーを出すためのペダリングになってしまうから、むしろ遅くなるんですよ。
篠:ですよね。なので私は、タイムアタックのときはパワーメーターは見ないです。その方がペダルを踏む力を推進力に変える感覚をつかみやすいので。
栗村:そう、パワーは目的じゃなくて手段なんですよね。そこを忘れてしまうと、パワーばかり大きくなってスピードはむしろ遅くなる……なんていう状態になってしまいます。
身体のイメージをつかむ
栗村:篠さんは子どものころ、なにかスポーツをされていたんですか?
篠:水泳をやっていました。競泳の教室で、毎日3000~6000mくらい泳いでいたと思います。
栗村:そうなんですね。これもいつも言っていることですが、自転車乗りにとっての水泳は、理想的なバックグラウンドですよね。僕がやっていたサッカーとは違って左右対称の動きですから、バランスよく身体を鍛えられる。
篠:ロードバイクに乗りはじめたころは、水泳のイメージで乗っていました。水の力を借りて進むのが水泳なんですが、ロードバイクは自転車の力を借りて進む感じです。
栗村:それ、すごい大事ですよね。さっきのパワーメーターの話もそうですが、今篠さんがおっしゃったような「効率よく進むイメージ」がないと、パワーとか心拍数といった数字しか頼るものがないので、そればかり見てしまう。でも数値には身体のイメージが欠落していますから、たとえば同じ300ワットでも、効率的な300ワットなのかガチャ踏みでパワーだけ出ている300ワットなのかがわからないですよね。
篠:本当にそうですね。本の中でも「脚がみぞおちから生えているイメージで」とか、身体についてのイメージを多用しましたけれど、そういうイメージをつかむのは速く、楽に走るためにとても大事です。
栗村:そこはZwiftの弱点ですね。パワーだけでパフォーマンスを計測していて、身体の使い方の効率が反映されないですからね。
ショートクランクは女性には向かない?
篠:栗村さんに伺いたかったんですが、今、ショートクランクが流行っていて、ポジションもそれに合わせてサドル位置が上がったり落差が大きくなったりしていますよね。でも、そのポジションは、万人に向くわけじゃないと思うんです。少なくとも私の筋力だと向いていないと思って、最近はむしろクランクを長くしているんです。
栗村:なるほど。筋力というと?
篠:一般に女性サイクリストは男性サイクリストより筋力が弱いですが、その分、全身の力を使って、ペダルも大きく動かしてパワーを出していると思うんです。でも、ショートクランクだとその点では不利ですよね。全身の筋力がものすごいタデイ・ポガチャルやレムコ・エヴェネプールならショートクランクがいいのかもしれないけれど、それが女性や一般のサイクリストに当てはまるのかな? と思うんです。
栗村:たしかにその通りですね。一見、細いように見えるヨナス・ヴィンゲゴーも体幹は凄まじく太いですからね……。
篠:私の場合、クランクを長くしたら、ケイデンスもむしろ上がったんですよ。大事なのはその人の筋力や脚の長さ、膝の位置などなので、ショートクランクが誰にでも向くわけじゃないと思います。クランクが短いぶん、トルクをかけられる距離も短くなりますから、ペダリングスキルも要求されますよね。
栗村:篠さんは上死点のこなし方が上手ですよね。長いクランクの最大の問題は上死点で脚が詰まってしまうことですが、篠さんは脚が長い体型も、スキルの面でも、上死点通過が上手いと思うんです。逆に僕みたいに身体が硬くて、前傾すると骨盤ごと前に倒れるタイプだと、長いクランクでの上死点が苦痛でしかないという……。
篠:それと、ペダリングしているときの体って、ゴムというかバネみたいに反発をし続けているイメージなんです。体のねじれを利用して、「右、左、右……」と交互に反発力を使うというか、ゴムが縮むみたいにひゅっとペダルを踏んでいく。
栗村:わかります。
篠:私の場合、上死点でその「ゴム」が伸びきってほしいんですよ。そのほうがペダルを踏むパワーを貯められますから。でも、短いクランクだとその「貯め」がちょっと物足りなかったんです。
栗村:なるほど、すごくしっくり来る表現ですね。その例えでいくと、僕は伸びにくいゴムだから上死点が高すぎると困るという感じなのかな。
身体のセンサーを研ぎ澄ます
栗村:篠さんとお話ししていて感じるのは、身体のセンサーがとても優秀な方だなということです。たとえば、クランクを5mm短くしたらその変化が身体に及ぼす影響をすぐに感じ取って、順応していく。トレーニングについても同じで、ある刺激を与えると、身体がそれに敏感に反応するし、それを自覚できる。これは強い選手の特徴ですよね。
篠:ありがとうございます。
栗村:でも、多くの人は篠さんのような敏感なセンサーは持っていないんですよね。食べ物も同じで、「美味しさ」を数値化することは難しくて、結局は舌のセンサーで感じ取るしかないじゃないですか。だから、そこが鈍い人は「まったりとしたコクがあって……」とか、どこかで聞いたそれっぽいコメントをマネするしかない。そういうサイクリストにとっては、パフォーマンスをある程度計測してくれるパワーメーターは救世主かもしれないですが、それが数値化できる「美味しさ」はごく一部でしかないので、頼ってしまうのは危険ですね。
篠:本当に気持ちよく走っているときは、数値は見ないほうがいいですからね。
栗村:ですね。僕も身体のセンサーをもう一度磨き直している最中です(笑)。
PROFILE
栗村修
一般財団法人日本自転車普及協会理事。中学生のときに観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で本場フランスへロードレース留学し、ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで国内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方、J SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営も行う。
篠(程 瑶楓)
マンガ『弱虫ペダル』(渡辺航、秋田書店)をきっかけにロードバイクに乗りはじめ、主にヒルクライムを中心に楽しむ。その様子をSNS等で発信し、多くのファンを獲得する。近年はMTBやスーパーロングライドにも取り組み、2024年には日本縦断2536kmのギネス世界記録に挑み148時間48分で完走。女子の新記録(男子を含めても歴代2位)を達成した。著書『ヒルクライムステップアップ』(日東書院本社)を上梓。
『ヒルクライムステップアップ』
定価:1,980円(本体1,800円+税)
体裁:A5判/192ページ
発売日:2024年10月2日
発行:日東書院本社
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