ブライアンの自転車備忘録 vol.7

究極にシンプルながら、かくも奥深き乗り物、自転車。楽しみ方から歴史、モノとしての魅力、そして個人的郷愁まで。自転車にまつわるすべてに造詣の深いブライアンが綴る「備忘録エッセイ」です。

ジャンル成立にも歴史あり
根底には各国の文化も……

今回の巻頭企画では、さまざまなジャンルでの自転車選びが説明されました。

どこかのブランド(笑)が得意としているツーリングタイプの旅自転車は、どの仲間に入れてもらえるの? ブームは落ち着いたけどピストはどの仲間? など、ここでは各ジャンルの成り立ちや経緯について記したいと思います。

かつて自転車は、きわめて実用的な働く乗り物でした。太平洋戦争後、自転車の娯楽性を提案するスポーツ車がイギリスからやってきます。

そこはインチとポンドの国。もともと、働く自転車の元祖も英国をお手本としていました。馴染みないインチ基準の規格が自転車に多いのは、これが要因でもあります。

クラブモデルと呼ばれるイギリスタイプの自転車は、サイクリング時々レースといったクラブサイクリングに使われました。

彼の地では当時から道の舗装率も高く、細いタイヤと、フラットな国土に合う3段だけの内装変速をスペックしていて、当時の日本の風土にはとても合いませんでした。

そもそも高価な自転車を遊びに使うことが現実的ではなかったのです。

その後、フランスのスポーツ車が紹介されます。代表格のランドナーは、少し太めのタイヤを履いて、多段数の変速を搭載。何といってもリリカルな各部の工作が愛好家を刺激しました。

ここから、日本のサイクリング車として、ランドナーが受け入れられます。オーダーでは、本家を凌駕した情緒的な工作が施され、日本特有の文化となりました。

同時に上陸したスポルティーフ、あるいはフェデラル、ディアゴナール(※)なども愛好家の2台目、3台目になり、MTB・ロード・クロス・ミニベロと同じように、ジャンル分けがされました。いつの時代でも、こんなことが好きですね。

1964年、東京オリンピックを多くのイタリア製バイクが駆け抜け、ロードバイクはイタリアに範を求めます。

しかし当時ツーリング車やロードは非常に高価で、愛好家やアスリートだけのものでした。まだまだ働く自転車が主流だったのです。

とはいえ、そう重いものは運ばない、少し速く快適に走りたい……というニーズもありました。

そこで、鉄の棒で連結されたブレーキをワイヤー式にして、丈夫な荷台・スタンドを線材構成に、そしてタイヤも現在と同じ構造にしたのが軽快車。今のママチャリと同じスペックですね。

このスペックでも「スポーツ」を冠することができた時代もありました。ママチャリも立派なスポーツ車かな?

その後、本格スポーツと軽快車の間隙を埋めるように、“見た目スポーツ車”的な日本固有の自転車文化が芽生えます。これがその後の、ゴージャスな電装システムを備えたジュニアスポーツ(デコチャリ)へ進化(?)しました。

80年代以降にはMTBが登場し、アメリカ的なる自転車が隆盛を極めます。クロスバイクもその中から派生して、アメリカ的ロードの勢力も強くなり、今のスポーツバイクのジャンルが構成されたようです。

元祖はイギリスにあるという固いことはおいといて、唯一ミニベロは日本文化でもあるのですが。

近年では、競輪から生まれたピストや、先のミニベロのように、日本発祥の自転車が世界に波及しています。

ランドナーが再度見直されたり、シクロクロスから、アドベンチャーやエンデュランス、あるいはぜいたくな散歩用の自転車が提案されたりして、どうもアメリカ的なる4つの仲間では括りにくくなっています。

先に述べたクラブモデルもちらほら。ややこしい?

でも、こんなに多くの仲間たちからスポーツバイクを選べるのです。また現在では、しっかりしたスポーツバイクを数万円で手に入れることができます。

少年たちの心を捉えた「見た目スポーツ車」は、現在の価値に換算すると10万円ぐらいでしたし、ジュニアスポーツに至ってはもっとすごい額になりました。

少し予算を回してもらうと、多くの仲間から自転車を選べる現在。こう考えるととても幸せな時代になったと思います(スポーツ車の経緯から紐解く催眠・便乗商法ではないですよ!! )。

以前もお話しましたが、自転車はちゃんとメンテナンスをすれば長持ちするもの。

お店ともしっかり相談して、あまりジャンルにこだわらずに、多くの仲間から飽きの来ない自転車を選びましょう。長いお付き合いをしてあげてくださいね。
 

ワイルダースーパーカーライト

ワイルダースーパーカーライト(1977)
ジュニアスポーツ車の進化を経て、ランプ関係に重点が置かれるようになったこちら。少年やヤングの心をつかみ、このジャンルは、その後なぜか一部地域の中学通学車にもなりました。


 
金ツバメトップツアー車

金ツバメトップツアー車(1960)
一般車のようですが、昔はスポーツ車よりエラかった「ツアー車」です。金ツバメは「二台にまさるこの一台」のコピーが許された称号。まさに頂点のスポーツ車でした。

 

Profile

ブライアンこと内藤常美(ないとう・つねよし)

そうそうたる方々も在籍する大学サイクリング部OB会に所属してます(ブライアンは右から2番目)。

リムやラレー、ツバメ自転車でも知られる 新家工業・営業本部勤務。溢れる自転 車愛とエモーショナルな語り口の、知る人ぞ知る業界の重鎮。「ブライアン」の由来は、入社間もない頃に行った英会話教室でのニックネーム。英会話は身に付かなかったものの、当時の仲間とは30年経った今もいい仲間。
【新家工業】

※編集部注……◎フェデラル:高級品だったランドナーを、手が届くスペックにまとめたサイクリング車。「かつて提唱されたカテゴリー」であり、現在はアラヤのモデル名としての認知のほうが優勢か。◎ディアゴナール:フランス語で「対角線」を意味する。その名のとおり、もともとは仏国土の対角線コースを走る長距離サイクリング競技のこと。

『自転車日和』vol.42(2016年10月発売)より抜粋

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