究極にシンプルながら、かくも奥深き乗り物、自転車。楽しみ方から歴史、モノとしての魅力、そして個人的郷愁まで。自転車にまつわるすべてに造詣の深いブライアンが綴る「備忘録エッセイ」です。
無常に移り変わるブームが
新たなスポーツバイクを作る
前回に引き続き、日本の〝ガラパゴス的スポーツ自転車〟についてです。1970年代から少年たちの心をとらえ、現在ではまったく見かけなくなってしまったジュニアスポーツ車。今回はその末期までのお話です。
ジュニアスポーツからわずかに遅れて、1974年発売のブリヂストン・ロードマンから始まる〝ヨンキュッパスポーツ〟も、時代を彩ったガラパゴススポーツと言えます。
どのメーカーも4万9800円で販売していたことからそう呼ばれました。フランスやイタリアロードバイク、ツーリング車などの愛好家からは蔑まれながらも、それらの本格的なスポーツ車に憧れる少年たちに愛されました。
ジュニアスポーツの顔はそのド派手なフラッシャーだと述べましたが、スポーツ自転車のもうひとつの華といえば「変速」です。
1977年からジュニアスポーツの変速系を支えたのは、シマノPPSでした。フロントギヤにフリーホイールを備え、ペダリングを止めてもシフト可能。コンソールレバーでカチカチと変速できるシステムです。
しかし、一般家庭の自家用車所有が普通になると、少年たちの気持ちも自転車から離れていきます。一部で中学への通学用として生きながらえますが、ジュニアスポーツの生産台数は減少。
これを受けてシマノ・PPSが1988年に生産終了したことも打撃でした。1990年、ヨンキュッパスポーツを含む、ジュニアスポーツのブームは終わりを迎えたのです。
ちなみにアラヤでは、1989年に最後のあがきとして「ワイルダー」というモデルを作りました。ヘッドラグ上端を伸ばしてハンドル位置を高くし、学習机感覚で乗ってもらえるようなポジションにしています。そして2.7mm厚の鉄板をプレス成形した、クルマのサイドスポイラー風メカガード!
ダイナマックスブレーキ採用で、制動力とともに派手さも確保しましたが、このモデルがアラヤにとってラストのジュニアスポーツになりました。
現在では無意識に使用している、手元レバーでカチカチできる変速。これはシマノ・SISがベースであり、すべてではないものの、PPSの技術の一部が下敷きになっています。
当時の時代背景、経済状態、そしてクルマのフィーチャー。さまざまな世相を、即座に自転車に反映させてきた先輩諸氏の奮闘を思うと、ジュニアスポーツを〝時代の徒花〟として括るのは忍びない。
ジュニアスポーツが終焉を迎えた1990年は、実は日本でマウンテンバイクが普及し始める時期とちょうど重なっていました。
国内で生産される自転車の北米輸出は激減していましたが、日本のMTBはバブルとともに絶頂期を迎えます。同時期に盛り上がっていたアウトドアブームで、MTBはパジェロに代表されるクロカン車などとともに大変な勢いで普及しました。
バブル崩壊で急速にその市場はしぼんでしまうのですが、それでも、MTBも〝単なる流行〟ではなかったように思います。
本来は本格的なスポーツ自転車から生まれた、ガラパゴスな日本のスポーツ自転車たち。MTBの流行は、そこから再び本格的なスポーツバイクへ移行する過渡期ではなかったかと思うのです。
そしてそのブームが、現在のスポーツバイクにもつながっている。これもまた、感慨深いことに思えるのです。
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『自転車日和』vol.45(2017年10月発売)より抜粋