第13回、14回とジオメトリーについての話題で盛り上がりを見せていたこちらの連載。今回は謎のクロモリバイク2台を見比べながら、なにやらディーブな会話が進んでいる様子。スペシャルゲストをお招きしてお届けします!
Profile
中沢 清(写真右)
CS ナカザワジム店主。西多摩マウンテンバイク友の会会長として、MTBを取り巻く環境の改善と次世代のマウンテンバイカーの明るい未来のために日々奮闘中。弊誌『MTB 日和』ではインプレッションライダーも担当。
https://nakazawagym.amebaownd.com/
今泉紀夫(写真中央)
ワークショップモンキー店主。MTB誕生以前からそのシーンのすべてを見てきたまさに歴史の生き証人。日本人による日本のフィールドにマッチする日本人のためのフレーム、モンキーシリーズの開発にも意欲的。
http://www.monkey-magic.com/
スペシャルゲスト 田口信博(写真左)
輪工房店主。野田市サイクリング協会理事として多彩なイベントを開催。マウンテンバイカーを含む多くのサイクリストをサポートしてきた自転車の達人。オリジナルのオーダーフレーム、アンカライトの開発も手がける。
https://www.rinkoubou.net/
中沢(敬省略):このところジオメトリーの話が続きましたけど、結局のところ29インチというタイヤサイズがポイント、という感じでなんとなく落ち着いたワケです。その流れで今回は、輪工房の田口さんに自分のローカルまでお越し頂き、ゲストとして参加してもらう段取りとなりました。
というのも、先日SNSで見かけたんですよね、田口さんが開発しているアンカライトのプロトタイプが組み上がったという投稿を。
ちょうど、ノリさんも新しい29インチのモンキーをテストしているところだし、2台を乗り比べしてみたかったんです。丘陵地帯のトレイルを流してみたり、うちの店のコースで走らせてみたりして。どんな感じに仕上げてきたのか、やっぱり気になりますから。
ちなみにアンカライトはいつ頃から作っているんですか?
田口:今度のもので8世代目ですね。はじめはXCっぽいものからはじめたんですけど、かれこれ25年くらい前からでしょうか。
中沢:アンカライトというネーミングはそのときに?
田口:はい。「山の中で暮らす人」というつもりだったんですけど、周りからは隠人とか世捨て人とかいわれてますね(笑)。
中沢:それはある程度、ビジネスベースとして販売していくつもりのものだったんですか? それとも自分が乗りたいから作った?
田口:元々、オフロード用のバイクに乗っていたこともあって、前傾で乗るXCレースバイクにどうも納得がいかなかったんですよ。不安定なオフロードで使うんだから、上体を起こして乗れなかったら自由度がない、という感じに。そういう意味では自分のために作ったともいえますけど。
今泉:そのルーツは同じなんですよ、うちも。やっぱりオフバイクの、オートバイのイメージがあったので。
田口:その頃、自分の寸法に合ったバイクがないのでなんとかしたい、という相談をあるライダーから受けまして。
それがオーダーフレームであるアンカライトの起点となりました。量産できるものではないので、あまりビジネスベースという感覚はありませんでしたね。
中沢:当時、日本の自転車メーカーもいろいろとMTBを作っていたわけじゃないですか、ミヤタだったりブリヂストンだったり。それらではだめだったんですか? 乗ってみても違う、と?
田口:そうですね。どうしても海外のMTBをコピーしている部分が強かったので。
今泉:ヘルボルト(※1)がリッジランナーに乗ったりして、ミヤタもがんばっていましたけど。
中沢:ノリさんもビジネスベースでは考えていなかった?
今泉:田口さんがいまやっているように、基本はうちもお客さまひとりひとりにあわせてオーダーで仕立てていましたから。
そのひとつひとつをサンプリングして、データ化して、それで完成したのがレディメイドの98STですけど、それでもメーカー車のように大量生産はできませんから、ビジネスとして儲かるかどうかは……。
田口:ぼくはそのモンキーさんのノウハウと人脈によって築き上げられたデータを吸い上げて、エンドだったりチューブだったり、なにを使えばどんな風に動くかとか、アンカライトの開発に使わせてもらっていますから(笑)。
今泉:そういって頂けるのはありがたいですことです。
中沢:日本のメーカーの人たちは、そういったノリさんや田口さんがやっていることに興味を持たなかったんでしょうか?
田口:海外でガンガン走っているものを日本に取り入れようとしたら、そのジオメトリーは参考にしますよね。だから、仕方がなかったんだと思います。
でも、海外向けのジオメトリーだと、自分は手が短いから届かないんですよ。
中沢:ちょっと意地悪ないい方をするなら、その当時の日本のメーカーが、実際に濃く走っている人たちから情報を集めて、MTBの開発をしていたらもっとおもしろいものができていたと思うんです。
今泉:意見はいろいろと聞かれましたし、勉強はしてもらったはずですけど。
~~~~~~ 中略 ~~~~~~
中沢:26インチにはじまって27.5インチ、29インチをちょうど、ふたりとも同じタイミングで作ってきましたよね。
今泉:うちは29インチを含め、一巡してる感じです。
田口:僕も29インチは1回作ったんだけど上手くいかなかった。
中沢:おもしろいと思ったのが、一度29インチを作ってみて、27.5インチに切り替えて。で、このところ海外からすごいバイクたちがやってきましたよね、こうだっていう答えが出ている感じのバイクが。
それらに乗った結果、もう一度作ろうと思ったわけですよね?
田口:そうですね。
今泉:はじめの29インチはフィッシャー(※2)の戦略ではじまったところが強かったわけで。
中沢:海外勢ですら迷っていましたから、29インチをどう扱いやすくするか。26インチから29インチにいって、一度は27.5インチまで戻り。そしてまた29インチに。その新しいアプローチの29インチで、ノリさんも田口さんも作ってきたわけです。
実際に今日、2台に乗らせてもらって思ったのは、それぞれに個性があって、こういう狙いがあるんだな、ということ。
開発した人の意図が分かるというか、こういう場所で走っているからこうなったんだろうな、と想像できたとき、そのMTBの本当の価値に気づけるように思うんですよ、速さどうこうではなくて。ベースとなるフィールドがある、作れているというか、関係性が築けている。だからそこに合ったバイクを作るのかなって。
田口:海外のバイクに乗って、足りないところがあったとしたら、自分で作るしかないですからね。
今泉:その作れる現場を維持していかなくちゃいけない、ということもあります。「ジャパンメイド」は日本語英語かもしれませんけど、環境を守る方法を考えなくては。「道具は海外製があればでいいや」になっちゃったらつまらないので。
中沢:今回、作ったバイクのポイントとなったのはどんなところですか? 海外性のどこがもの足りなかったんですか?
田口:もの足りないとか、そういうわけではないんですけどね、クロマグなんかはすごく気に入っているし。
でも、ぼくが乗るとアンダーが出るんです、コースでもトレイルでも。どうしてもフロントが逃げていく感じがあって。それをもう少し思い通りのラインで走れるように、ジオメトリーやフレームの硬さを考えたり。リアの振動の吸収性だったり、踏んでしなった後に前側に伸びていく感じとか、いろいろですね。
今泉:いまは「ハードテイル」という呼び方になっているけど、自分は「リジッドサスペンション」なんだと思っています。
田口:そうです、その通り。
今泉:90年代の後半には割とサスペンションフォークが当たり前になってきて、フレームはそれを前提とした設計になって。それからリアサスペンションが出てきて、ワケのわからない実験的なバイクが多い時期もありました。
サスペンションが進化するに連れて、リジッドフレームは消えちゃうのか? クロモリはなくなるのか? そんな危機感の中でやってきましたけど、結果から見ればなくならなかった。日本のハンドメイドフレーム、特にMTBは危機的な状況ですけど(笑)。
中沢:ノリさんがよく言っていますよね、日本のフレームビルダーたちの仕事を守らなくてはならないって。
それはフィールドについても同じことが言えます。自分は元々親しんできた山で遊べる世界も守っていきたいんです。MTB専用のコースが増えているのはうれしいけど、サーキット的なものだけだと少しさびしいので。
新型コロナウイルスの影響を受け、世界中の自転車需要が拡大、今年はお店がMTBを仕入れられない状況です。「もう一度、日本製のMTBを」というのはできないのでしょうか? 昔は海外の人たちが品質に優れた日本の製品に憧れて、購入していたんだし。
今泉:いまでもあるでしょ、ほかのジャンルでは。
中沢:自転車はそれを守ってこれなかったから、いま危機的な状況にあるような気がします。いまは海外まで情報が届く時代なんだし、アニメのような日本のサブカルチャーに海外のマニアが憧れるように、白馬やニセコの雪を求めてやってくるように、日本のバイクやフィールドも知ってもらいたいですね。
海外のマウンテンバイカーがモンキーやアンカライトを手に入れて、それらが生まれたフィールドを走ってみたいと思う世界、絶対にあるはずです。
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※1 グレッグ・ヘルボルト 1990年に開催されたMTB 世界選手権DH 種目で優勝を果たしたレジェンドライダーのひとり。ミヤタ・リッジランナーの広告
※2 ゲイリー・フィッシャー 1970年代中期からビーチクルーザーの改造車でオフロードレースの原型を生み出す。世界的に有名な「MTB」の名付け親。
写真:村瀬達矢 文:トライジェット
『MTB日和』vol.45(2021年2月発売)より抜粋