編集部スタッフの独り言コラム『みなさまのおかげです』

こちらは2005年に発行された『自転車日和』の記念すべき第1号、その表2(表紙をめくると出てくる、表紙の裏側)の様子です。

どういうわけか、そこには当方が当時、お気に入りの1台として所有していたMTBの姿が、ドーンと掲載されています。自転車専門誌なので、MTBが登場すること自体にさほど問題はありません。

しかしですよ、自転車専門誌の表2には通常、自転車メーカーさまや部品メーカーさまの広告が入っているはず。今回は懐かしくも物悲しい、初期の『自転車日和』のお話を少々。

 
この頃、当方にとって自転車雑誌のお仕事は副業的なもので、(自動車の)輸入車を取り扱うムック本の制作が本業でした。

日帰りで名古屋&大阪は当たり前。夜が空ける前に東京を出発、高速道路をひた走り岡山にて撮影、その日の営業時間内に東京のラボまでフィルムを届ける……高齢化した現在ではまず考えられない、命を削って小銭を稼ぐ、そんな過酷な日々を送っていました。

ちなみに当時、自動車雑誌に関わる編集さんやライターさん、カメラマンさんにとってその程度のことは極々当たり前でしたし、そもそも当方が弱体化しただけで、いまも変わらず戦い続けているタフガイたちに言わせれば「情けねえなぁ」のひと言で済まされてしまうかもしれません。

 
閑話休題。そもそもこの写真はなんなのか? たしか、ボルボに関するムック本を制作している時期、〈ついで〉で撮影したものだったと記憶しています。

なにが〈ついで〉なのかと申しますと、先代の編集長が「ボルボの撮影に行くんだろ? だったらついでにさ、『自転車日和』用にも何カットか撮ってくんね? スーリーのキャリアつけて自転車積んでる感じの。自転車もなんかない? お前のでいいから」とおっしゃったものですから。当時は2台のMTBを所有しておりましたが「せっかくだから」とよそゆきの方を連れ出した次第。

ちなみに写真の車両はトマックバイクの98スペシャルです。思い出深い特別な1台ですが、その話はまた別の機会にでも。

 
さて、回答編です。ボルボのルーフに積まれたトマックバイクの写真、なぜこのようなものが『自転車日和』の記念すべき第1号、しかも表2という高額なページ(最高値は裏表紙、表2は次点)に掲載されていたのか……広告が売れなかったから。

さらにこちらの創刊号、表4(裏表紙)にも広告が入らないという、あまりに過酷な状況に晒されていましたorz。広告は雑誌の生命線ですからね、2冊目を発行した出版社の英断には頭が下がります。

それが令和3年となる今年、創刊から16年目という奇跡のような現実。これもすべて読者のみなさま、広告主のみなさまのおかげです。

紙媒体を扱う出版関係のお仕事が斜陽産業と言われる昨今、「WEBにしか興味ないから」と離れていく読者&広告主さまの気持ちはよくわかります。自分自身も年間に購入する雑誌や書籍の数が激減していますし。

速報性や拡散力で太刀打ちできないWEB媒体には、情報を〈無料〉で得られるという最強のスキルが備わっています。果たして、雑誌がWEBに勝るところはあるのか? 信頼性? ブランディング? 正直、よくわかりません。

 
ではなぜ、この状況下でも雑誌にこだわるのか?ーー現在も真剣に、愛を持って雑誌作りに取り組んでいる方々にお話をうかがうと「やっぱり本が好きなんだよね」とみなさんおっしゃいますがその気持ち、痛いほどわかります。

でも、当方の思いは少しだけ違っていて、大好きな自転車の、専門誌が存在しない未来が許せないのです。大変残念なことにいま現在、日本でMTBを専門に扱う雑誌は『MTB日和』のみ。

もしも『MTB日和』が休刊になれば、日本のMTB業界は専門誌1冊すら存在しない、さびしい業界ということになってしまいます。

すべてのスポーツ誌、趣味の雑誌が休刊するような状況になれば話は別ですが、許される限り、気力と体力が続く限り、雑誌作りを諦めたくないのです。この『自転車日和』の創刊号に掲載された写真は「逆境に負けない」、そんな気持ちを後押ししてくれる貴重な1カットになりました。

 
とまぁ、このようなコラムを雑誌ではなく、WEB版に掲載している時点で負けてんじゃんか!
 

Profile

編集 トライジェット
MTBや小径車などを複数台所有する『MTB日和』&『自転車日和』編集スタッフ。「自転車はスポーツの道具ではなく移動道具」と割り切り、都内の路地や暗渠(あんきょ)散策を楽しむ自称ロジラー。

-MTB, 雑記